2025年7月5日は何が起きる? ― 生と死がひっくり返る時代の入り口

7月4日にパートナーの紗織ちゃんと話した内容を整えて載せています。

目次

7月5日って何が起きるの? 山をあげると言われた話

青峰:
なんかちょっと僕の離れたところにいる人とかは、7月5日って何か起きるんですかって聞く人がいるんだよね。

紗織:
そうなの?いつから言われてたの?

青峰:
去年ぐらいに、なんか言ってた気がするよな。
「7月5日」だと知ったのは本当につい最近やったし。なんか「7月って何が起こるんですか?何日なんですか?」みたいな出来事で、何人かに聞かれたことがあってさ。

紗織:
そうなんだ。

紗織:
確か私もそれは聞いたことあったんだけど、それを聞いたときの周波数って、私が完全なるオーガニック生活してたときで。全部自分で頑張って、畑やって、みたいなときに、それが入ってきて。
で、面白いんだけどさ、いつも無農薬の生活してたときって、農薬は悪!みたいになってて。いろんな方面に悪が存在してて、山を買っといたほうがいいよって言われて。ちょうどコロナの時期でもあって。

紗織:
「世界中で次なる脅威が来る、コロナがまた来るから」って。それで俗世間から隔離して、自分の食事を自分で賄えるようにするには山買った方がいいって、めっちゃ山買うの勧められて。そのときに滅亡説も一緒に聞いたのが4年とか前。もう忘れとったけど…明日なんやね。

青峰:
多分ね。

紗織:
でも面白いのが、「山買った方がいいよ」って言われて、あの時素直やから「そうなんだ」って思って。で、山って思って、おにぎり握った次の日に、おにぎりを食べた人から言われた。「山あげる」って。
でもよく考えたら私、山管理できないと思って、丁重にお断りしたんよ。

青峰:
おにぎりに感動した人がね、山の権利書くれようとしたんだったっけ?

紗織:
そうそうそう。最初はすごい金額のお金くれるって言って、「遺産相続くれる」って。でも困るって言ったら、「それだったら山もらってくれ」って言われて…いや、山の使い方わからへん。

青峰:
確かに(笑)
話を戻すと、僕が面白いなと思うところはさ、めっちゃ生きようとするじゃん?そういう話があると。
でもさ、自分の「体験したいこと」が何かわからんまま生きながらえても、ただの地獄じゃね?って思っちゃう。
それだったら1回生まれ変わってもいいんじゃないかって思ったりもするし。

実際に世界はパラレルで自分が創造しているから、ハルマゲドンとか世界の終焉に向かうような流れを創造して進む人もいるかもしれない。

青峰:
でもなんか、やりたいことがあってやってきてる以上、やりたいことやってる、役に立ってるってところがある限り、その人はさ、少なくとも「やりたい体験」やりきるまでは、何が起きようが、多分生きてると思うんだよね。
天変地異が起きようが、戦争が起きようが、生き延びる。だって、体験したいことがあるから。
「なんで生き延びようとするのか」って、生存本能だとは思うけど、そもそも「何のために生きてるの?」の方が大事だよって。
そこに気づくと、いいんだろうなと思うんだけど。

青峰:
でも、日々「何していいかわからない」とか、「何のために生まれてきたんだろう」って悶々としてる人ほど、そういう「7月5日に何が起きる?」にめっちゃ敏感だったりするよね。逆だよねって思うけど。

紗織:
私ね、去年の12月くらいから「2025年は生と死がテーマになる」ってずっと感じてたの。
で、実際に2025年の1月になった時に、あおちゃんのおばあちゃんが亡くなって…で、今度はあゆちゃんが誕生して。
なんか、集合意識的にも「生と死」って今テーマなんだろうなって。
でもね、みんな恐怖。何かに怯えて、何かが怖いって進めないの。
突き詰めていくと、みんな「死」が怖い。死ぬのが怖いのよ。

死んだあとの方が天国、生と死の捉え方

青峰:
なんか「死んだあとの方が天国で楽」っていうことを、みんな知らないし、「本当にそれってあるの?」って感じてる人が多いんだよね。
でも、これから生まれてくる子供たちが、生前の記憶を喋ったりとか、感覚を開いた人が亡くなった人の話を聞いたりするようになると、「死んだ方が楽」っていうのが、だんだん伝わってくると思うんだ。

紗織:
でも、あおちゃんが言ってた「生前の記憶」って遣い方が違うね。
私たちが普段使う「生前」って、死んだ人の話だよね。「生前はぜんざいが好きでした」とか。

青峰:
ああ、ほんまやね。「生まれる前」で「生前」って言ってたわ。

紗織:
うん。あおちゃんの言い方の方が合ってるんだけど、日本語の感覚ってなんか不思議な違和感あるよね。言葉としては合ってるのに、不思議な感覚。

青峰:
僕も「生前」って、生まれる前ってイメージで喋ってた。

紗織:
でも、一般的には通夜とかで「生前は…」って使われるしね。

青峰:
自然のことを話してるはずなのに、なんか逆転してる気がするよね。

紗織:
ほんとだね。やっぱり、生と死の概念が逆転するタイミングなんじゃない?

青峰:
そっか、それが完全にひっくり返るのが、7月7日なんかな。
なんか「5、6、7」って並びもコロナだし、コロナ=“ミロク”って意味もあるし、ここで「ミロクの世」にひっくり返るんじゃない?
「ミロクの世にひっくり返る」で「777」って言いそうだね。

紗織:
ああ、そういうことか…あまりにも出来すぎてるね。「令和7年7月7日」。5、6、7って流れで…すごい。

青峰:
僕も「ミロクの世」って、いろんな言葉では聞くけど、実際どういうことなんやろう?って思ってて。でも、ざっくり言うと「感覚で生きていく世界」って捉えてるかな。

紗織:
「ミロクの世界」って、意識のほうの話だから、「ある」とか「無限」とか、思慮はないし、自分が“神様”みたいな体感だよね。

青峰:
「生と死」ってなんやろって考えると、「体を持っているという認識があるかどうか」だと思うんよね。
昨日話した夢の世界で言うと、夢の時って、死んでるのと同じような状態でさ。戻ってきたら、「肉体を持っている」っていう認識で動いてる。
だから、生と死ってもうすでにないんだろうなって思う。夢の中では「死んでる」みたいなもんやし、起きなかったらそれが“死”になる。だから境目って本当はないんだよね。

紗織:
よくさ、自分の細胞って全部新陳代謝で入れ替わってるから、昔の自分のかけらって残ってないのに、同じ顔とかしてるよね。

青峰:
まあ、認識ができる程度には残ってるんやろうね。

紗織:
でも、あおちゃんがセッションした人とか、一瞬で顔変わるじゃん。

青峰:
みんな変わる変わる。自然体になるから、まず美しくなる。
もともと「人間は自然から来てる」っていう前提に立てば、原則として美しいんだよね。
究極に自然に近づけば近づくほど、やっぱ「美しい」と感じる。その強さっていうのかな。

紗織:
人間の体も自然だもんね。

青峰:
そうそう。だから、百万円かけて美容クリニック行くくらいなら、こっちに来てほしいよね。

紗織:
ほんとに、一瞬で変わるもん。

青峰:
姿形を変えたとしても、不自然さが出てたら、それは「綺麗」と言われるかもしれないけど「美しい」ではないんだよね。
「綺麗」は「奇」という文字が入ってて、ちょっと不自然なほどに麗しいって意味。だから近寄りがたいエネルギーもまとうんだよ。

青からのメッセージ

青峰:
自分の軸を整えると、見た目の美しさも、お金も、パートナーシップも、健康も、自分の喜びも、全部そこから来てる。
ある意味、「オールインワン」なんだよね、“青である”っていう状態は。

紗織:
そこに入ると、全自動で進んでいく感じあるよね。

青峰:
そうそうそう。逆に言うと、一部だけ、たとえばお金だけを追うとか、健康だけを追うとかっていうと、その瞬間は望んだ状態になるかもしれないけど、
結局「本当にやりたいこと」っていう軸があって起きることだから、偏りが出ると、バランスが崩れちゃうんだよね。

青峰:
たとえばダイエット頑張りすぎて健康壊すとかさ。お金稼ぎすぎて働きすぎて体壊すとか。
健康オタクになりすぎて「何を食べたらダメ、何を食べたらいい」ってことばかり考えちゃって、肝心のやりたいことに向かうエネルギーが湧いてこない、とか。
やっぱりバランス崩れるよね。だって、「青である」っていう中心に向かって生まれてきてるから、軌道修正する時に、偏ったら別のところが崩れてバランスとってくるんだよ。

青峰:
あ、今ピンポイントで7月5日は「人類転換のタイミング」ってきたよ。
より純度の高いエネルギー体として進む流れがやってくる。
「そもそも、そなたが生まれてきた意味は何なのか?」
「何をしにこの地球に来たのか?」「何を成したいのか?」「何を体験したいのか?」

それを今一度、自分の内側に聞いてみるといい。

青峰:
すべてのものが光を持ち、その光は人の数だけある。誰かと同じものは何ひとつない。
気づき、輝け。そして進みなさい

青峰:
――青のメッセージでした。

紗織:
メッセージ降ろすの、久しぶりだね。

青峰:
うーん。メッセージを降ろす時って、「メッセージが来た!」ってなるけど、僕の中ではそれって感覚との分断だと思ってるのね。
普段捉えてるこの現実の感覚より、もう少し大きな自分っていうか…自分でもあるんだけど、もっと開いていった先で触れる何か。
そこにアクセスしたときに、ああやって「メッセージ」として感じる。

青峰:
たぶん、メッセージを降ろしてる人たちも、その瞬間は少し自分と切り離してる。でも、言葉として発すると現実化するから。
そのうち「メッセージじゃなくて、自分の言葉」として発するようになるはずなんだよね。

紗織:
え、どういうこと?「言葉じゃなくてメッセージ」って?

青峰:
「きました!」って言ってる段階ではメッセージ。
でも、それがだんだん「自分の言葉」として発せられるようになってくる。
たとえば3年前に「感覚の時代が来ます!」って言ってた人も、3年後には「今、感覚の時代ですよ」って言う感じ。
それがメッセージじゃなくなるとき。自分の内側と一致してる状態なんだよ。

紗織:
ああ、なるほどね。
この前さ、出雲大神宮さんに行く前に「玉を授ける」っていう感覚が来たのね。
そこでポンって「碧玉(へきぎょく)」っていう言葉が降りてきたんだけど、私その言葉知らなかったの。
で、調べたら本当にあって、出雲さんで使われてる青緑の勾玉のことだったの。あれってなんなんだろう?

青峰:
あれもね、「知らないけど分かってる」っていう世界、あると思うんだよ。

紗織:
学んだこともないし、言葉も知らないのに、その単語だけポンって来て。
どこから来たん?って思うけど、調べたら本当にある。
しかも、たまたま出雲大神宮に行くタイミングで、それが出雲の勾玉だったっていう…ね。

青峰:
音を感じ取ったんだと思うよ。
日本語の音って、自然のエネルギーを音にしたものって言われるじゃない?
山の壮大さを見て「ああ〜」って言ったら、それが「あ」になったみたいな。
そういう風に、発声した音を文字にしたのが日本語。
だから「碧玉」って音を感じ取ったんだと思う。

青峰:
たとえば鈴虫の鳴き声って、「リンリン」って言ってるわけじゃないけど、「リンリン」と感じるじゃない?
そういう感覚のことなんだと思う。

知らない言葉がメッセージとしてやってくる

紗織:
なんか不思議なんだけど、その単語みたいな、キーワードだけポンって入ってくるんだけど、
入ってきたときって、すごくクリアで、まっさらで。

紗織:
そこにはエゴとか思考とか概念が一切くっついてないのに、
「なんでこの言葉なんだろう?」って思考が動き出すと、
そこに自分のエゴや概念がかぶさってくるの。

紗織:
そうなると、そこにストーリーをつけちゃう時点で、それはもう「自分のストーリー」になっちゃうんだよね。

青峰:
うんうん。僕もさ、サービス名とか会社名つける時って、出てくる言葉って必ず今までになかった単語だったりする。
時には、ある言葉と別の言葉を組み合わせたりもするけど…。

青峰:
ハワイ語とフランス語が混ざったみたいな音でポンってくることもあるし、
「知ってる」というより「わかる」っていう感じ。
だから知らない単語なのに、音として、言葉としてスッとくるっていうの、あるよね。

青峰:
前にも、「しょうかする」って言葉だけが来たときがあって、
でも「消化」って言っても火を消す消化もあるし、
水が氷から気体になるやつ(昇華)も「しょうか」って読むし…。

青峰:
それで、「この機材は使用可です」っていう“使用可”も「しようか」で、
その音とエネルギーが重なってくる時って、「あ、これは音なんだな」って感じる。

紗織:
なるほどね。

青峰:
思ってる以上に、「音」や「言葉」って、現実に与える影響がめちゃくちゃ大きくて。
昨日も話したけど「言葉遣い」の「遣う」って“派遣する”って意味じゃない?

青峰:
で、遣うって「投げかけたものが返ってくる」って意味だから、
それって宇宙の法則と同じで、言葉も一緒。
言葉が持ってる元のエネルギーを放つから、それが現象として返ってくる。

青峰:
で、人ってそれを無意識にわかってると思うんだよ。
なぜかというと、現実がそれを“自動再生”してるから。
でも、無意識に発してる言葉ってめっちゃ多いんだよね。

青峰:
たとえば、「本当の自分を生きるのが怖い」って無意識で思ってると、
感じていこう言われた時に反射的に「私、感じられないんですけど」って言っちゃったりするの。

青峰:
そうすると、「感じられない」っていう現象を、また走らせちゃう。
それを無限に繰り返してるみたいな。

青峰:
でも、そこを「感じられる人になりたい」とか、「感じるようになってきた」って言葉に変えるだけで、
現象が変わっていく。ちゃんと感じられるようになってく。

紗織:
なるほどね、確かに。

青峰:
人によって音で来るとか、感覚で来るとかあるけど。
僕の場合、相手の持ってるイメージがスコーンって入ってくると、それが言葉になるんだよ。

青峰:
最初は映像なんだけど、それに意識を合わせると音がくる。
「これって何?」って意識合わせると、言葉で来るようになる。
それを「こういうことですよ」って言葉にして伝える。

青峰:
たとえば、ハペやってる人がいて、パッと浮いたときに映像がバーっと来たら、
その映像を見て「これはこういう意味です」って変換して言葉にする感じ。

紗織:
でも、あおちゃんがやってることって、私からすると本当にすごくて。
私がキャッチしてるのって右脳なんだよね。イメージとか感覚。
で、言葉って左脳を使って出す感じだから、使ってる脳が違うの。

紗織:
だから、変換をかけるときに誤差が出るの。
たとえば、ピアノ弾きながら喋るのってめちゃくちゃ難しい。

紗織:
演奏にめっちゃ集中してゾーンに入ってるときに、
間にトーク挟むと、喋ることで脳が切り替わって感覚が変わっちゃうんだよね。

紗織:
だから、演奏して喋って、また演奏して…ってやってる人、ほんとすごいと思う。
あおちゃんも、その感覚をそのまま言葉にしてるってほんと意味がわからん。すごい。

青峰:
いや僕も、ピアノ弾きながら喋るのは無理かも(笑)
ピアノ弾きながら歌う人とかいるけど、あれどうなってんだろうね?
でも、あれってもう表現として完全に一体化してないと無理だよね。
僕がやっている言語化も似たような状態なのかもしれないけど。

「生と死」がひっくり返るタイミング、これからの死のイメージ

紗織:
でも話戻るけど、明日の「大転換期」って、たぶんみんなそれぞれ違うふうに捉えてると思うんだけど、
私の中では「生と死」がテーマで。
今まではさ、生まれるのも苦しみ、死ぬのも苦しみって。
生老病死、仏教とかでも「四苦」って言われてるじゃん。
でも、今年赤ちゃんを産んでみて思ったのは、ほんとは「喜び」で生まれてきて、
「喜び」で死んでいくんじゃないかなって。完全にそれ、ひっくり返ってるなって思うの。

紗織:
だから私、もし自分のお葬式とかあったら、みんなにお祝いしてほしいの。
お誕生日パーティーみたいに。
なんかこう、暗い顔して泣きながら見送るんじゃなくて、
「肉体脱げておめでとう!」「今世やりきったね、おめでとう!」って。
卒業式みたいな感じで送ってほしいの。
私の中では「そろそろ飽きたから肉体脱ごうかな」ぐらいの感覚だし。
でも「死を恐れてる」って、その感覚にはならないよね。きっと。

青峰:
「死を恐れない」っていうか、「死を喜びとして捉える」っていうことが、
すごく大事なポイントになる気がするな。
じゃあその「死を喜ぶ」ってどういう状態かっていうと、
死ぬ瞬間に「ああ、よかった。楽しかった。ありがとう」って言えること。
それが「今の生死の概念」ともつながるけど、
つまり「今日、やりたいことをやりきった」っていう毎日を生きてたら、
明日死んでもいいっていう感覚でいられると思うんだよね。

紗織:
全部フラクタルだよね。
短いのと長いの、小さいのと大きいのって、全部同じ型を繰り返してるだけだから。
生と死もそうでさ、たとえば朝起きる=生まれる、夜寝る=死ぬ。
これがミニチュアの人生みたいになってる。
人って毎日、一回死んでるようなものなんだよね。
この感覚、私はずっと前から言ってる。

青峰:
そういう感覚に気づく人、増えてくると思う。

紗織:
「生まれてから死ぬ」って時間軸で見たら、過去から未来へ流れてる。
でも実は、時間って「未来から過去」にも流れてるわけ。
だから「死から今に向かって流れてる」って言い方もできる。
じゃあ「どんなふうに死にたいか」っていう、自分の未来像を描いたことある人、どれくらいいるんだろう?

青峰:
そこから「再生」が始まるんだよね。

紗織:
そうそうそう。

青峰:
「どういう死に向けて今を生きてるか?」っていう視点、大事だよね。

紗織:
うんうん。でも、あおちゃんが言ったように「青の状態」であれば、
私も「何歳で死ぬか」とか、「どういう状況で死ぬか」とか、そういうの全然わかんないけど、
ただなんか、「自然体で、すぽんっていく気がする」。苦しまずに、っていうか。

青峰:
ほんと、「寝たら終わってた」みたいな感じよね。

紗織:
そうそうそう。寝てる間に魂飛んで、元いたところに戻った、みたいな。
なんかそんな感じがするんだよね。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

青として、青へ導く仕事をしている「青が仕事の人」

真理を伝える『青言葉』と未来を繋げる『青写真』で人や会社をあるべき姿に調和しています。

生まれたときから青に惹かれ、寄ってくる体質。
青い財布に変えたことがキッカケで英語力ゼロのまま海外移住し、その記事がYahooニュースになりました。
そして「青好き」で検索1位になりANAから仕事を受けてから「青が仕事に」なっています。

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次