2025年1月3日(金)おばあちゃんが空へと旅立った。
いつかは来る日ではあったけど、もう少し生きていてくれるかなと思ってた。
でも、1月1日に会いに行ったとき、涙が止まらなくなっていたから「これが最後」ということを僕は知っていたのだと思う。
僕が1歳半の時に母を亡くしてから、ずっと面倒をみてくれたおばあちゃんは僕にとっては母親そのもの。
でも、一度も怒られたことがなくて、ずっとのびのびと僕を見守り続けてくれた大きな大きな愛の人だった。
感情を殺して生きていたときですら「おばあちゃんが亡くなったら絶対に泣いてしまう」というくらい、いなくなるのが一番怖く、ずっと生きていて欲しいと思っていたくらい、大好きなおばあちゃん。
ただただ感謝しかなくて、溢れてくる想いが止まらなくて、今日はそのまま書き綴ってみようと思う。
40年のありがとう
おばあちゃん、生まれた時からずっと愛してくれてありがとう。
1歳半でお母さんが亡くなって、どうしようもなく悲しくて、どうして生きていけばいいか絶望したとき、大きくて暖かい愛で包み、僕が寂しい思いをしないように常に氣を遣いながら母親代わりをしてくれて、僕は生きていく希望を持てたよ。
新しいお母さんが出来て、5歳になって離ればなれになってからは、大きな孤独を感じることもあったけど、毎月のように家に遊びにいかせてもらって、そこは僕にとってのオアシスであり、ホームだった。
結局、中学生になるまでは毎月いっていたような気がするよ。
それくらい毎回行くのが楽しみで、自分が生きていていいんだと感じる場所だった。
習字やそろばんも教えてくれたね。
結局、僕はどちらもあまり向いてなかったけど(笑)おばあちゃんが教えてくれているのが嬉しかった。
テニスは全国大会で3位になった実力者でもあったね。
おばあちゃんのテニスを周りの大人の人がみんな褒めているのを聞いて、子どもながらにとても嬉しい氣持ちだったのを覚えているよ。
「勝負は勝たなあかん」という勝負へのこだわりは、僕にも強く遺伝していると思う。
僕が何か賞を貰ったり、誕生日だったり、お祝い事は必ず自分事のように喜んでくれて、お祝いしてくれていたね。
そんなにお祝いしてくれるのは普通じゃないって社会人になるまで分からなかったけど、分かったときに「本当にかわいがってくれていたんだな」って感じたよ。
社会人になってもずっと「息子のような孫」で、遊びに行くたびに喜んでくれてたね。
家族と海外から帰ってきて、住む家がなかったとき「家にきいや」って即答してくれたときは本当に有り難かった。
改めてありがとう。
一緒に住むようになってからは、息子の青空くんに毎日話かけ続けてくれて、青空くんが日本語を話せるようになった。
子育てに対しての、おばあちゃんの知恵も沢山もらって、とても家族が整っていったよ。
おばあちゃんがいかに子どもを大事にしてきたかが、よく分かった。
一緒に住み始めて3年くらいたって、認知症が進み始めて、日々混乱しながらも「自分の事は全部自分でする」「迷惑はかけない」と4年間貫き通したその意志の強さを本当に尊敬してます。
色々とあったけど「僕のため」であったことも今なら分かる。
きっと限界を超えていたのだけれど、最後1月1日に僕が会いに来るのを待っていてくれたんだよね。
そこまで頑張ってくれてありがとう、生きているときに感謝を伝えられてよかった。
僕が生まれた家であり、おばあちゃんの家。
そこには当たり前のようにおばあちゃんがいたから、家から施設に引っ越したときにはとても大きな寂しさがあって泣き崩れちゃった。
大きくて暖かい熱がどこかにいってしまったような感じて、おばあちゃんの家が別の家になったように感じてしまった。
でも、お通夜とお葬式を家でやることになって、おばあちゃんは帰ってきた。
こういう言い方は変なのだけど、家の魂が戻ってきた感じがして嬉しかった。
家族だけでと進めていたけど、結局20人以上の人が集まって、おばあちゃんがどれだけ愛されていたかを感じたよ。
そして、みんなが集まりやすいようにこのタイミングで決めていたんだね。
誰よりも迷惑をかけることを、よしとしなかったおばあちゃんだから。
集まった人から聞いた話には「おばあちゃんの厳しさ」が沢山あったのだけど、僕が一度も感じた事がなかったことを気づいた時、また愛を感じたよ。
いつもニコニコと大きな暖かい光で包み続けてくれていたおばあちゃん。
院号をつけて貰ったとき、そこに出てきたのは「華やかに仏様のあり方を伝える」という意味だった。
そう、おばあちゃんは僕にとっての仏様でありつづけてくれて、それはこれからもずっとそうなんだと思ったよ。
もうすでに、僕の心はあたたかい氣持ちでいっぱいで、これからおばあちゃんのあり方を胸に進んで行きます。
これまでの40年間、本当にありがとう。
おばあちゃんがいてくれたから、ここまでこれたよ。
おばあちゃんの孫で本当に幸せだった。
ここまで見守ってくれてありがとう、愛してくれてありがとう。
大好きです、愛してるよ。
いままでも、これからも、ありがとう。
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