【青会話】「やりたいことがわからない」2025年7月から本質に還る感覚の見つけ方

2025年6月30日にパートナーの紗織ちゃんと話した内容をそのまま掲載しています。

目次

2025年7月の流れと「本当にやりたいこと」への転換期

青峰
明日からもう7月だね。7月2日からまた流れが動き出す感じがするよ。

紗織
7月って、どんなエネルギーなんだろう?

青峰
そうだね、「七」って数字ってさ、何かが“ひっくり返る”感じがあるんだよね。まるで“奇跡の木”みたいなエネルギー。しかも、今年は「777」だし。7月7日あたりに、エネルギーがひっくり返るような感覚がある。

青峰
青講座で話してるような、「本質に生きる」って方向にグルッと反転する…そんな流れを感じてる。

紗織
じゃあ、7月7日まではどういう流れ? それを超えると、どんな風に変わるの?

青峰
夏至のあたりからすでに変化は始まってるんだけどね。イメージで言うと、”本当にやりたいこと”に向かって一気に加速していく流れなんだよ。
そして逆に、これまでの「流れに身を任せてるだけだった部分」がどんどん崩れていく。今までの経験や積み重ねを一度手放して、そこから”本当にやりたいこと”を選び直すっていう感じ。

青峰
でも、ここで言う「やりたいこと」って、今までの「あれいいな、これいいな」「あの人がやってるからやってみたい」みたいな“羨ましさ”や“外側基準”じゃないんだよね。
この数年は、そういう「試しにやってみたい」が許された期間だった。5年くらいずっとね。

青峰
でも、2025年に入って明らかに流れが変わってきてる。
「やってみたらいいんじゃない?」みたいな感覚で寄り道してたことが、もう通用しない。お試し期間は終了。本当にやりたいこと以外は、どんどん重たくなっていく。そういう“圧”を感じてる。

紗織
あおちゃんは「青」っていう軸があるから、やりたいことが明確だよね。でも、多くの人は「自分が何をやりたいのかわからない」って悩んでる気がする。そういう人はどうしたらいいと思う?

青峰
うん、それすごく大事なテーマだね。

まず、「やりたいことがない」って思ってると、そのまま「やりたいことがない現実」を創ってしまう。これは意識の力の話。

たとえば「あるはずなんだけど…」って思ってる人はまだ可能性の中にいる。でも中には、「私には本当にやりたいことなんてない」と思い込んでる人もいて。それはただ、“気づいてない”だけなんだよね。

青峰
そして、「やりたいこと」っていうと、すぐ「仕事になるか」「お金になるか」っていう基準で探しがち。でも本当は、そこは関係なくて、「ただやりたい」という感覚が大事。

しかも、実は誰もが今この瞬間、「やりたいことを100%やってる」っていう見方もできるんだよ。
その中に、本質的にやりたいことの“かけら”や“パズルのピース”はちゃんとある。

青峰
要するに、探すんじゃなくて「気づく」こと。
そして、外じゃなくて「内側」にある。
「誰かがやっててよさそうだから」って飛びついても、それって誰かが作った世界の真似でしかない。それじゃ、本当の自分のやりたいことには辿り着かないんだ。

青峰
やりたいことがわからない人って、「やったときの感覚」を知らないだけなんだよね。
でもね、それって日常の中で育てていける。

たとえば、「お腹が空いたときに食べたいものを食べる」「トイレに行きたいときに行く」っていうような、“今この瞬間の自分の欲求”をちゃんと感じて、それに素直に応えていく。それが大事な練習になる。

青峰
そのときに湧いてくる感覚——ふわっとした喜びとか、内側からポッと火がつくようなエネルギー。
それをひとつひとつキャッチしていくと、「これが自分のやりたいって感覚か」ってわかるようになってくる。

青峰
たとえばレストランでメニューを見て「どっちにしようかな?」って悩んだとき、値段や損得で決めるんじゃなくて、「今、どっちが食べたい?」って自分に聞いてみる。そのときパッと浮かんだ方を選ぶのが、“感覚を信じる”ってこと。

青峰
この感覚を日々大事にしていくと、どんどん「やりたいこと」がわかるようになってくるんだよ。

最初は小さな「食べたい」「行きたい」でもいい。そうやって感覚に正直になっていくと、自分の中にある“やりたいのパズル”が集まりはじめる。

一見関係なさそうに見えても、並べていくと「自分が体験したい方向性」がちゃんと見えてくるんだ。

青峰
だからね、自分がやりたいって思うことの“ピース”を集めていく作業が必要なんだよね。
それは、自分との“静かな対話”でもあるし、人生というパズルを完成させていく大切なプロセスなんだよ。

やりたいこと・やりたくないことの感覚と「青」の選択軸

紗織
なんかね、「やりたいこと」っていう感覚って、どちらかというと男性的なエネルギーに近い気がしてて。
それに対して、女性的な感覚では「やりたくないことを感じる時間」も、すごく大事なヒントになるなって思うの。

青峰
ああ、「やりたくないこと」から探るってことね。

紗織
そうそう。実際、「これがやりたい!」って思える瞬間って、そんなに多くないんだけど、
逆に「これイヤだな」「これは不快だな」って思うことの方が印象に残るし、強烈に感じる。
だからそこから見つけていくっていうのも、ひとつのルートになるよね。

青峰
うん、それすごくわかる。自分が何を不快に思うか、どんなことに違和感があるかっていうのを丁寧に感じて、それをやらない・外していくっていうのも大事なプロセスだよね。
両方のアプローチ——「やりたい」と「やりたくない」からの気づき——どっちも大事で、どっちから入っても、結局は“自分の中心軸”に近づいていくことになる。

紗織
でもね、「やりたい」「やりたくない」って言うと、みんなすごく大きなテーマで考えすぎちゃう。
たとえば「買い物に行きたくない」って思った時、
「行くか行かないか」の二択で悩むんじゃなくて、「30分だけなら行ける」とか、「このお店だけ寄る」とか、もっと細かく分けて考えられるはずなのに。

紗織
介護の話でもそう。
「全部やるか、全部やらないか」じゃなくて、
「話だけは聞くけど、実際の介助は誰かに頼む」とか、
「買い物に付き合うのはいいけど、お風呂を手伝うのはイヤ」とか、
もっと選択肢って細かく設定できるはずなのに、
多くの人がそれをやっていない感じがする。

青峰
ほんとにそうだね。
わかりやすく「これが嫌」とか「これが好き」ってはっきりしていれば話は早いんだけど、
実際には「両方ある」って場面が多い。

だからこそ、「白 or 黒」じゃなくて、僕がいつも言ってる“青”の選択——
「行く」「行かない」の間の「30分だけ行く」みたいな中間地点を探るのがすごく大切なんだよね。

青峰
たとえば、前にも話してたけど、ジュースを買う時に「りんごジュースか、コーヒーか」って迷って、
どっちか選ばなきゃって思ってるけど、実は「両方飲みたい」っていうのが本音だったりとか。

紗織
あと、ご飯屋さんでも「一人前」が自分にとってちょうどいい量とは限らない。
定食を丸ごと頼むんじゃなくて、単品メニューを組み合わせて、自分だけのベストなセットをつくればいいのに、
「一人前」の型にはまって選んでしまってる人が多いよね。

青峰
そう、しかもそれに気づいてないまま、無意識に合わせてるっていう。
で、「考えるのが面倒くさいからいいや」ってなる。

紗織
本当は、自分にドンピシャのものを組み合わせて、
自分が本当に心地よいものだけに囲まれて暮らしたいはずなのにね。

青峰
そういうのって、感覚が開いてくると選択に迷いがなくなる。
本当に「これ、これ、これ!」って1秒で決まる。

青峰
僕なんか買い物してても、すごく大きな百貨店とか行っても、くるっと一周して、
「はい、これ!」って即決してレジに持っていく。
でも、そこで「本当にこれでいいんだろうか…?」って思考が入ると、一気に迷い出す。

青峰
「これが正しいのか」「本当に欲しいのか」って考え出すと、選択にすごいエネルギーを使ってしまう。
でも本当は、感覚の方ではもう最初から答えが出てるんだよね。

青峰
それを確かめようとして、無駄に比較したり、計算したりしてる。
それって結局、妥協を生むだけなんだよ。

紗織
そう。
一度妥協すると、次も妥協する。
そうやって積み重なって、最後に振り返ったとき、「妥協した人生」になってるんだよね。

選択を「思考」から「感覚」へ。ピースが増えるほど、人生は軽くなる

青峰
さっき話した“やりたいことのピース”に気づいていくっていうプロセスね、
このピースが増えれば増えるほど、実は思考する回数って減っていくんだよね。

たとえば僕は「青が好き」って明確にわかってるから、
選択肢の中から“青じゃないもの”を除外できるでしょ。
それだけで思考のエネルギーを使わなくて済む。

スティーブ・ジョブズも、毎日同じ服を着てたのって、選択の回数を減らすためなんだよね。
「今日は何を着よう?」っていう思考をカットして、エネルギーを温存してた。

紗織
あ、それで今日Tシャツばっかりなのか(笑)

青峰
そう(笑)でも大事なのは、“選ばなくていい仕組み”を自分の中に持っておくこと。
たとえば、「魚と肉、どっちが好き?」って聞かれたら、僕は肉ってすぐ出る。
だったらまず肉のページからメニューを見る、っていうふうに最初から方向が決まるわけ。

こうやって「自分の好きなもの・嫌いなもの」「心地いいこと・そうじゃないこと」に気づいていれば、
100ある選択肢から全部見て吟味する必要がなくなる。
つまり、自然にショートカットできるようになるんだよね。

紗織
うんうん、なんとなくわかるけど、もうちょっと詳しく言うと?

青峰
たとえば「肉が好き」ってわかってたら、迷う時に「肉料理の中から」選べばいい。
その時点で80くらい選択肢が減るよね。
そして「なんとなくこのあたり」って傾向もわかってれば、さらにスムーズに選べる。
でもそれがないと、100の中から毎回ゼロから全部見て、
「これは何が入ってる?」「どっちが得?」って全部考えなきゃいけない。

そうなると、選ぶだけでめっちゃエネルギー使っちゃう。

青峰
本当は、人が持ってるエネルギーって湧いてくるものなんだけど、
選択するだけでそれを消費してたら、その後の行動に回すエネルギーがなくなって、
「あ〜疲れた…」ってなるでしょ。

でも逆に、「これ食べたい!」ってすぐ決まって、それをちゃんと食べられたら、
喜びのエネルギーが湧いてきて、
「よし、このあと何しよう」って、自然に次の創造につながる。

青峰
この違いって大きいんだよね。
食べたいものを決めるのに30分使って、ようやく妥協して選んだご飯より、
直感で「これ!」って選んで満たされる食事の方が、
その後のエネルギー状態も全然違う。

つまり、現実創造って、エネルギーの純度で決まる。
だからこそ、自分の「好き」や「こうしたい」って感覚に、どれだけ気づいていけるかがカギになる。

青峰
もちろん、それを毎回“頭”で考えてたら大変になる。
でも一度「自分が本当に好きなもの」に気づけたら、
もう自然と目がそこに向くようになるんだよね。

僕も「青が好き」って気づいてから、
どこに行っても自然と青いものが目に飛び込んでくるようになったし、
選ぶのにも迷わなくなった。

青峰
だから、「気づき」が多ければ多いほど、エネルギーは消費されにくくなる。
そして、感覚もどんどん開いていく。

選択が軽やかになって、エネルギーが循環して、
やりたいことをやること自体が自然な流れになる——
それが“青で生きる”ということなんだと思う。

「あるものから選ぶ」から「自分の中にあるものを創り出す」へ

青峰
こうしてピースが増えていくと、思考じゃなくて感覚で選べるようになっていくんだよね。それはすごく大きな変化。

紗織
ほんとそう。
これまで多くの人って、「すでにあるもの」の中から自分に近いものを選ぶ、っていう選択の仕方をしてたと思うの。
でも今、あおちゃんとやってることって、それとはまったく逆。
“すでにある中から選ぶ”んじゃなくて、自分の中にあるドンピシャのイメージ——
「これが欲しい」っていうものを、先に感じて、そこから選ぶ。

だから、「選んでる」というより、「創ってる」に近いのかもしれない。
この感覚って、他の人と話してるとあんまり通じてない気がして…。
たいていの人は、どこかに妥協が混じってるように見えるの。
でもそれは根本的に、アプローチが違うからなんだなって思う。

青峰
うん、それ、ほんとにそうだね。
最初のうちは、誰でも「あるもの」の中から「自分に近いもの」を選ぶっていうところから入ると思う。
たとえば、服を買いに行ったときに、「この青は好き。でも形がちょっと…」とか、
そうやって自分の“好き”や“違和感”に気づいていく段階がある。

でもね、本当に“現実は創れる”って信じられたとき、
「自分がこういうのが欲しい!」って思ったものが、ちゃんと現れるようになる。
もっと言うと、それを自分が生み出してるんだっていうことに気づく。

青峰
僕自身がそうだったんだよね。
気づけば、持ってるもの全部青になってた。
パソコンも、充電ケーブルも、スマホケースも服も、ぜんぶ青。
最初は「たまたま青いものがあったから選んだ」って思ってたけど、
そのうち、「青であること」が自分にとって大事なんだってわかってきて。

たとえば、青い充電ケーブルがあったとしても、
性能がイマイチだったら、それは“青”を否定された気がしてイヤだった。

青峰
だから僕にとっての理想の青いケーブルは、
・断線しない
・転送速度が速い
・長さがちょうどいい(1〜2m)
・肌触りがなめらかで、引っかからない
・持ち運びやすくて、まとまりやすい

……そういう全部の条件を満たしてて、しかも青、っていうものが欲しかった。

最初は「そんなのあるかな?」って思いながら、検索して探してたんだけど、
最終的には、それ全部満たす青い製品が、ちゃんと見つかった。

青峰
でも後になって気づいたんだよね。
「探してた」んじゃなくて、「描いてた」んだって。
そして、自分が描いたその“青い理想像”を、現実に創り出してた。

だって、周りの人からはこう言われるの。
「そんなに青いものってあるの?」って。

でも僕の中では、「いや、世の中って青いもので溢れてるでしょ?」って思ってる(笑)
それくらい、自分が見てる世界と、他の人が見てる世界って違うんだよね。

青峰
人によっては、「青いもので全部揃えるなんて意味がわからない」って思う人もいる。
そもそも「そんなに青いものなんてないでしょ?」って。

でも、僕は「どこにでも青はある」って思ってるから、
自然と“青に溢れた世界”を創ってる。
現実がその通りになってるってだけ。

青峰
だからこれは“青”の話に限らず、誰にとっても同じことが言える。
その人が「これがいい」って思ったものが、
その人の世界には必ず現実として存在していく。

つまり、「何でも創り出せる」「どんな体験もできる」ってこと。

そうなったときに改めて問いたいのは——
「じゃあ、本当に自分は何がしたいの?」っていうこと。

これが、“本質の自分に生きる”っていうこと。
僕がいつも言ってる「青に生きる」って、つまりはこういうことなんだよね。

「想像力と現実創造」― 本質から生きる時代へ

青峰
僕たちは、もともと「これを体験する」と決めて生まれてきてるんだよね。
だから、やりたいことをやるためにこの体を持って、この地球での体験を選んできてる。

そこからズレたとき、つまり「これは違うよ」ってことが起きると、ちゃんと自分で自分に軌道修正をかけるようになってる。
心地悪さだったり、選択に迷うような出来事が起きるのもその一つ。
そういうときこそ、「自分が本当に何を体験したいのか?」に立ち返るサインなんだよね。

青峰
だから、これからはもっと純度高く、やりたいことにまっすぐ生きていくってことが大事になってくると思う。

紗織
この数年で人が失ったというか、弱くなってるなって感じる力があるんだよね。それが、「想像力」。

現実って、自分がイメージできたものしか起きない。
でも今、大人たちの想像力がすごく乏しくなってる気がするの。
子どもは空も飛べるし、宇宙でも泳げるし、本当に自由。
なのに大人になると、「常識の範囲内」でしか想像しなくなる。
「これぐらいならあり得る」とか「現実的に考えると」って、枠の中でしか考えられなくなる。

紗織
でもこれからは、「創造主として生きる」時代だと思う。
どれだけ“ぶっ壊れた想像”ができるかが、人生の面白さをつくっていく。
想像力が豊かであればあるほど、現実も豊かになっていく。

青峰
その背景にはやっぱりね、2020年前後の流れで、
「周りに合わせなさい」とか「空気を読め」とか、
外側に意識を向ける風潮が強くなったっていうのがあると思う。

それによって、自分が「どう感じてるか」とか「本当はどうしたいか」って感覚が弱くなって、
「自分って何者なのか」っていう自信が持てなくなってきた人が多い。

青峰
「自信」って結局、“自分を信じること”なんだけど、
それってどれだけ“自分のことを知っているか”に直結してるんだよね。
でも、「今までの経験を生かして」とか「過去にこうだったから」と思考する人ほど、
想像力がどんどん狭くなっていってしまう。

紗織
そうそう。経験を基準にすると、「これはやっちゃダメ」とか「こうなったら困る」っていう“制限リスト”ばかりが増えていく。

青峰
そうなると、創造の範囲がすごく狭くなるんだよね。
「やっちゃいけないことリスト」に引っかからない範囲でしか、物事を考えられなくなる。

たとえば、「明日ハワイに行こう!」って言われたときに、
「え、仕事は?お金は?予定どうするの?」って思考がすぐに働く人は多い。
それは過去の体験や“怒られた記憶”が作った制限の枠なんだよね。

青峰
これはね、時間の捉え方も大きく影響してると思ってて。
多くの人がまだ「時間は過去→未来に流れる」と思ってる。

だから「今までの積み重ねで未来を創る」っていう発想になる。
でも本来の流れは逆で、「未来→今」なんだよね。
未来のビジョンがまずあって、そこに向かって今が形作られていく。

青峰
だけどほとんどの人は、まだ「過去を土台にして未来を築く」っていう感覚だから、
どうしても発想が制限される。
そうなると、自由創造じゃなくて“制限された創造”になってしまう。

青峰
でもね、この5年で、
「え?なんでこんなこと起きたの?」っていうような、
過去の経験からは到底予想できない“奇跡的な出来事”を体験してる人も増えてるはずなんだよね。

そこにちゃんと氣づければ、
「想像の先に現実が創られる」という流れに、もう一度戻れると思う。

奇跡を語る会 ―「たまたま」じゃない、自由創造の証明

紗織
結局、みんな“気づいてないだけ”なんだよね。

青峰
そう。起きてるんだよ、奇跡って。
でも「たまたまだ」とか「イレギュラーな例外だ」って思って、
またいつもどおりの生き方に戻ってしまう人が多い。
けど、この5年くらいで、信じられないくらい“奇跡的な出来事”が、
たぶん全員に起きてるはずなんだよね。

青峰
時間が未来から過去に流れていて、現実が自由創造でできているとしたら、
そういう出来事が起きるのは当然なんだよ。
無意識のうちに、それを“気づかせるため”の現象を自分で起こしてるんだよね。

たとえば、「なんでこの人とここで会うの?」とか、
「なんでどこ行っても晴れるの?」とかさ、
笑い話みたいに見えるけど、本当にそういうことがずっと起きてる人っている。

青峰
これって、自分が「こうしたい」「こうなりたい」って描いたことが、
やり方を問わず現象化してるだけなんだよね。
「なんでこれが起きたんだろう?」って、
“当たり前じゃないこと”に目を向けてみると、
あ、自分が創った現実だったんだって気づける。

青峰
「奇跡」と思っていたことが、
実は自分の才能や感覚、創造力そのものだったりする。

青峰
もし、「自分のやりたいことがわからない」とか、
「本当に自由に創造できるのかな」って思っている人がいたら、
“奇跡アルバム”を振り返ってみるといいかもしれない。

たまたまにしては出来すぎてる出来事、いっぱいあるからさ。
そして、自分だけじゃなくて、周りの人にも聞いてみるといいよ。
「なんか最近、変なこと起きなかった?」って。
ほぼ全員がなにかしらの“奇跡”を体験してる。

青峰
たとえば、紗織ちゃんが「洗剤欲しいな」って思ったら、
次の日、玄関に洗剤がかかってたとか、
「米食べたいな」って思ったら、なぜかトマト缶の中から米が出てくるとか(笑)

紗織
本当にね(笑)
人によって内容は違うけど、
そういうことが“日常茶飯事”のように起きてる。

青峰
それこそ、そういうエピソードを話し合うだけでも、
「この世界、やっぱりそうなんだな」って氣づけるようになる。
奇跡が起きてるんだから、「信じざるを得ない」っていうか。

青峰
で、それを何度も体感していくと、
「自分が自由創造できる」っていう確信がどんどん強まっていく。
だからこそ、みんなで話してもいいんじゃないかと思うんだよね。

青峰
たとえば…「奇跡を語る会」とか。

紗織
それ、めっちゃいい!!
いろんな人の奇跡を聞いてたら、絶対に“奇跡が見えるようになる”。
「そんなことあるの!?」って何度も思うことで、
自分の中の概念が壊れて、
「あれ?これも奇跡だったんじゃない?」って、
どんどん氣づくようになると思う。

紗織
でね、そういう体験を目撃すればするほど、
人生は“奇跡だらけ”になっていく。
だから「奇跡を語る会」って、めちゃくちゃ面白いと思う。

青峰
うん、すごく見える。イメージ湧いてきた。

紗織
でももしそれ始めたら、私ずっと喋ってると思う(笑)
毎日何かしら奇跡が起きてるから。
しかもその奇跡って、どう説明していいかわからないレベルのことも多くて。

紗織
それに、自分では「たいしたことじゃない」って思ってたことが、
人に話すと「え、それってヤバくない!?」って反応が返ってくる。
あおちゃんの奇跡も、私ずっと目撃し続けてるけど、
あおちゃんってそれを“当たり前”の顔してやってるから、
あえて話すこともしないじゃん?

紗織
でも、ほんとに話したらいいと思うよ。
それ、普通じゃないから(笑)
エピソードだけでみんな覚醒しちゃうって。

青峰
ほんとに、ありすぎて「どこから話す?」って感じだよね(笑)

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この記事を書いた人

青として、青へ導く仕事をしている「青が仕事の人」

真理を伝える『青言葉』と未来を繋げる『青写真』で人や会社をあるべき姿に調和しています。

生まれたときから青に惹かれ、寄ってくる体質。
青い財布に変えたことがキッカケで英語力ゼロのまま海外移住し、その記事がYahooニュースになりました。
そして「青好き」で検索1位になりANAから仕事を受けてから「青が仕事に」なっています。

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