夢はもうひとつの現実―実体験から感じる“あちらの世界”

パートナーの紗織ちゃんと話した夢の内容を掲載しています。

目次

正夢やファンタジーな夢の種類と不思議

紗織
あおちゃんて、よく夢をみるよね。
どんな夢をみるの?

青峰
なんかね、ありそうでない、でも「ありえない」とも言い切れない夢が多いんだよね。たまにハリーポッターみたいな世界観になったりもしてさ。

紗織
美味しい(夢だねそれ)。

青峰
この前、夢の中で喋ってて、目覚める直前に急に息苦しくなったんだよね。
なんか、喉がカラカラでさ。「あ、言おう」ってした瞬間に苦しくなって、そこで目が覚めたんだけど、ちょうど寝言言ってたらしくて。
夢の中で喋ってたままの流れで目覚めてて、こっちでも続き話してる感じだった。

紗織
なるほど。それ、あるよね。

青峰
あるんだよ。たまにそういうの。ていうか、毎日寝言喋ってるよね、俺。

紗織
うん、言ってる。「えっ?」って思って聞いたら、「夢見てた」って言うんだもん。

青峰
でも逆に正夢はあんまりないなあ。ただ、「あ、これ夢で見た」っていう感覚はある。
たとえばエジプトでバスに乗ってた瞬間とか、「これ夢で見たやつだ」って思い出す。

紗織
へえ〜。

青峰
あれって、夢で体験してたことが、現実にぴったり重なる感じなんだよね。

紗織
私も最近ね、意識が朦朧としながら、よっちにミルクあげてる時とかにふわっと夢見ることあるよ。

青峰
あ、それで思い出した。今回の夢、たぶん紗織ちゃんもいたんじゃないかな。めちゃくちゃはちゃめちゃだったけど(笑)
なんか大学のサークルの合宿みたいな、みんなで移動してご飯食べて…みたいな。そんな雰囲気だった。
旅行か合宿かよくわからないんだけど、ノリ的にワイワイしてて。

青峰
でね、夢の舞台が何度も登場する場所だった。そこにまた出てきて、彫刻がいっぱい置かれてる四角い建物があって、中に入って鑑賞して…。
そこから、なんか一回きりってわかってる空飛ぶシチュエーションに変わるの。ぐわーっと空に舞い上がって。

紗織
ええ、めっちゃファンタジーやん。

青峰
で、建物の真上に来ると、一番上が四角く空いてて、区画に分かれてるの。
そのうちの一つには竜の彫刻があって、その下には芝生。全部真四角に整ってるの。
ルービックキューブの部屋みたいな感じ。で、「どこに降りようか…」って迷って、降り立った瞬間に記憶がなくなるんだよ。

紗織
へぇ〜。怖いけど面白いね。

青峰
そう、めっちゃ怖いんだけど、なぜか落ちても死なないの。
別の夢では宙に浮いてるスケボーみたいな足場に乗ってて、それで飛んでる。でもだいたい、踏み外して落ちる(笑)。
「もうダメだ…」って思うんだけど、なぜか地面にバインって着地するの。

紗織
シチュエーションが細かすぎる(笑)

青峰
しかも落ちる場所が、たとえば明石海峡大橋みたいな鉄の吊り橋の柵だったりしてさ。
アニメだと「ピタッ」と足がついて「シュッ」てやるじゃん?僕はそういう発想もないから、ただただ「死ぬ…」って落ちていく(笑)

紗織
でも無事なんや?

青峰
そう。不思議と無事。
怪物にガブッと噛まれたり、誰かに斬られたりして場面が切り替わることもあるよ。
寝てる間に3〜4回くらい違う場面に切り替わることもあるし、続きの夢を連続で見ることもある。

紗織
私もある〜。一回起きてまた寝たら、夢の続きを見るとかね。

青峰
そうそう!夢の記憶ってさ、起きた直後は覚えてるのに、次の夢に入ると前のを忘れるよね。
でも中には、何年も前に見た夢の続きを見ることもあるんだよ。
ゲームのセーブデータみたいな感じで。

紗織
あ〜それわかる。名前も記憶もそのままで、「冒険の続きを押した」みたいな(笑)

青峰
そうそう!夢の中って、自分が何をしようとしてるか、どんな状況にいるかが、最初からわかってるんだよ。
「ここはどこ?」とかならない。

青峰
たとえば、エジプトに行く半年以上前にみた夢のとき、川の流れとか、バスの中の雰囲気とか全部体感で覚えてて、
実際にエジプト行ったとき、その感覚そのままだったんだよ。「あ、この場面知ってる」って。

紗織
それってすごい正夢やん。

青峰
高校の時もあってさ。1年生のときに見た夢で教壇に立っている先生の場面があって、出会ったことも無い人なんだけど。
そしたら翌年、その人が別の学校から赴任してきて2年生の時の担任になったんだよね。
そのときに「あ、正夢ってあるんだな」ってはっきり思った。

青峰
でも最近はね、「夢も現実なんじゃないか」って思うことがある。
夢の中でも、現象がリアルに起きてて、感情もある。
ただ、体の感覚は少しあいまいなんだよね。ぶつかっても痛くないとか。

紗織
うんうん。心の動きだけあるって感じね。

青峰
そう。でも空飛ぶ時は風を感じたり、狭い席に座ってるときの「ぎゅうぎゅう感」とかはちゃんと体感がある。
居酒屋で5人並んで座るとか、夢なのにその密度を感じるんだよ。

過去・未来、人の意識を追体験する夢の話

紗織
私ね、1回、毎日同じ夢を見てたことがあって。
どこかのキャンパスに入っていく夢なんだけど、日本じゃない。外国っぽくて、「あ、これヨーロッパだ」って。
それで毎日その大学でレッスン受けるの。音大っぽくて、課題曲もあって、教授の顔もちゃんと覚えてるの。

青峰
え、それめっちゃリアルやな。

紗織
でね、あんまりにも同じ夢を見るから、「ここってどこの大学?」って思って、夢の中で看板を見に行ったの。
そしたら “〇〇 University” って英語で書いてあって、目が覚めた瞬間にその綴りをメモして、検索かけたら――実在する大学だったの。
しかも、ドイツの音楽大学で。

青峰
え、実在してるの!?すごっ!

紗織
でね、びっくりしたのが、私が昔ピアノを習ってた先生が、その大学の卒業生だったの。ホームページにその人の体験談が載っててさ。
内容も夢で見たレッスンと同じで、「私これ実際やったんじゃない?」って思ったのよ。

青峰
うわ、それは完全にチューニング合ってるね。その先生の体験を夢の中で追体験してたのかもしれないね。

紗織
そうそう。夢の中の私は自分だと思ってたけど、もしかしたら先生の意識と繋がって、その体験を一緒に感じてたのかもって。
しかも、ドイツ語で言われてる内容もちゃんと理解できてたの。不思議だよね。

青峰
それ、めっちゃ面白いよな。
でもさ、それってつまり、意識を合わせることで他人の過去の体験を追体験できるってことじゃない?
で、逆に言うと、未来も想像して意識がそこに飛んでたら、そのまま体験として戻ってこれるわけで。

紗織
うん。あれは未来に行くっていうより、誰かの過去を体験してた感覚に近かった。

青峰
そうやってさ、夢の中で体験したものって、現実世界の「創造の種」にもなると思うんだよね。
たとえば漫画とか映画を見て、「こんな世界いいな」って思ったのが、夢の中で具現化されてて、それを持ち帰って現実で具現化していく感じ。

紗織
あー、わかる。それってもう、意識の創造そのものだよね。

青峰
うん。で、それって意識の中に「現象化を起こす層」と「肉体を持った一貫性ある体験の層」、両方あるってことかも。

紗織
私はなんか、チューニングを合わせる能力が強いんだと思う。
高校のとき、日本史のテスト勉強してて、桜田門外の変をうとうとしながら見てたら――
その事件の場面に意識が飛んで、実際にその中にいたんだよね。自分の視点で。で、首絞められて目が覚めたら、首に手形が残ってた。

青峰
え、それ本気で!?どっち向きに?

紗織
こう、正面から。指の跡がばっちり残ってて。
肉体で感じた苦しさと、夢の中の苦しさが一致してて、「あれ、私誰だったんだろう…?」って本気で思った。

青峰
うわ…それ、意識が完全にその場に入ってたんだろうね。
首を絞められているっていう意識があるから、現実の体にも反映されて、手形が出てる。
それってもう、意識が現象を生み出してるってことだよ。

青峰
夢の中の体験って、肉体を介さずに意識だけで体験してる状態でしょ?
でも現実も結局は、意識が肉体を創って体験してるわけだから、根本的には同じ構造なんじゃないかって思うんだよ。

紗織
うん。わかる気がする…。

青峰
夢の中ってさ、肉体がなくても感情はある。怖いとか嬉しいとか、ちゃんと心が動いてる。
痛みとかのフィジカルな感覚は曖昧なんだけど、心の動きはめっちゃリアル。
で、夢の中での“肉体感”って、自分が作ってるとも言えるよね。

紗織
そっか…。なんか意識が現実をつくるって、こういうことなんだね。

青峰
そう。たとえば死ぬときの苦しみとかも、実は意識が肉体を「これ以上続けなくていい」と判断して、創造を終えるタイミングに痛みとして現れてるだけかもしれない。
意識が創造をやめた瞬間に、肉体も終わる。
逆に、まっすぐ自分の本質に生きてたら、無理に痛みを想像する必要がないから、スッと終わるはずなんだよね。

青峰
夢を見たときもさ、「あれ?こっちが夢かも?」って思うことあるよね。
でも現実って、ただ“長くて一貫性がある世界”なだけかもしれない。
僕らが「現実」として認識してるのは、ただ意識の中で一番カチッと固まってるゲームの舞台ってだけなんじゃないかって思えてきた。

現実は一貫性のあるゲーム、夢と現実は意識のところからすると一緒

紗織
そっか…意識のことがまだよく分かってなかった高校生のときだったから、あの体験は「オカルト現象」って思ってたんだよね。

青峰
まあね、そうやって捉えてたほうが、この肉体がある側の自分にとっては“面白がれる”っていうのはあるかもね。
まだ自分の認識がそこまで開いてない時期だったら、なおさら。

青峰
でもさ、「死ぬときに苦しい」っていう感覚だって、肉体が限界を迎えてるというより、意識のズレに気づかせるために、肉体を通じて痛みを感じてるとも言えるかもしれない。

紗織
うん…。

青峰
たとえば「肺が悪い」って言われたとき、それって実は「悲しみ」が溜まってることを知らせるサインかもしれない。
本質の自分から見たら、「それはもうやりたくない」って言ってるのに、無理して続けようとするから、その悲しさを認めてほしくて現れてるのかもしれないね。

青峰
で、それを無視してどんどんズレていくと、やっぱり“痛み”っていう形で教えてくるんだよね。
でも、まっすぐ本質に生きてたら、そもそも体に痛みを起こす必要すらない。
だから、意識の創造がうまく整ってたら、スッとそのまま終わるってこともあるはず。

紗織
なるほど…。

青峰
でね、そう考えると、夢の中で見た体験も、今こうやって喋ってる現実も、どっちも「意識が作り出している世界」だと思うようになったんだよ。
むしろ夢の側から見たら、今この現実の方が「夢」かもしれないしね(笑)

青峰
ただ、この“肉体がある現実”っていうのは、ある種、ものすごく長い一貫性を持っている世界。
ずっと連続してて、ある程度“カチッ”と認識が固まってる状態。だからこそ、「これが現実だ」って思いやすいんだよね。

紗織
うん。長く続いてるってだけかもね。

青峰
でも、そこにある「一貫性」って、本当にただの“認識”なんじゃないかって最近思ってて。
その認識がカチカチに固まってるから、「飛べない」「変わらない」って思ってるだけで。

青峰
でもさ、その認識が外れていくと、「パラレルジャンプ」みたいにパーンと飛べるんだよね。
「こんな世界もあるんだ」っていう出来事が、ぽんぽん起きてくる。

青峰
つまり、僕たちが“現実”だと思ってるこの世界も、夢と同じく「意識がつくってる世界」のひとつでしかないのかもしれない。
ただ、最初に「これは一貫性のあるリアルなゲームです」って設定されたから、それにハマって遊んでるだけでさ。

紗織
あ〜…それ、めっちゃ腑に落ちる。
たしかに「固定された世界」として楽しんでるだけかもしれないね。

青峰
そう。つまり、こっちが現実で夢は非現実っていうのは、ただの設定上の話でしかない。
どっちも意識の中にあって、どっちも“現象”として体験されてるわけだから。
じゃあ、どっちがリアルかっていうと――どっちもリアルなんだよね。

紗織
そうだね。現実だと思ってたものも、自分の意識が選んでるだけなんだろうね。

青峰
うん。僕らはきっと、「一貫性のある世界で、あえて制限のある中での体験」をしてみたくて、ここに来たんだと思う。
で、今、その“固定された現実”というゲームから、「もっと自由な夢のような現実」へと移行してるのかもしれない。

紗織
それって、“意識の遊び”なんだね。

青峰
まさにそう。全部、意識の遊び。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

青として、青へ導く仕事をしている「青が仕事の人」

真理を伝える『青言葉』と未来を繋げる『青写真』で人や会社をあるべき姿に調和しています。

生まれたときから青に惹かれ、寄ってくる体質。
青い財布に変えたことがキッカケで英語力ゼロのまま海外移住し、その記事がYahooニュースになりました。
そして「青好き」で検索1位になりANAから仕事を受けてから「青が仕事に」なっています。

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次