死とは何かを捉えて越える

今年に入ってすぐに大好きだった祖母が亡くなり、死を改めて捉えることになりました。
1歳半のときに母を亡くしてからというもの、人が亡くなった時にはどうなるのかということを、ずっと捉えてきていたのですが、この世界、宇宙の仕組みから死とは何かを表現してみたいと思います。

目次

人間的な生と死

人間的な視点で見たときの生と死は「肉体があるかないか」という点につきます。
この肉体がある状態が「生」で肉体がなくなるときが「死」であると定義するのであれば、今こうして文章を書いているのは「生」と言えると思います。

これも概念の一つではあるのですが、肉体があることによる体験の一部として「肉体の死」に出会った時の悲しさや寂しさという感情を味わうというものがあり、これは多くの人が体験してきていることではあると思います。

ただ、この体験から「死」を強く意識したときに、多くの人が思うのは「自分の人生」とは何だろうという点です。

この自分の人生とは何だろうをもう少し言い換えると「肉体があるうちに体験したいことは何だろう」という問いかけになると思います。

この「肉体があるうちに体験したいこと」を話する前に、一つ世界のことをお伝えしておきたいことがあります。

肉体はなくなっても意志氣エネルギーとしてはなくならない

肉体を離れたらどうなるのかといえば、肉体のないエネルギーになります。
大まかに言えば肉体をもったエネルギーか、肉体のないエネルギーかという違いはあれど、その人の意志氣は常にある状態です。

肉体があってもなくても意志氣の上では会話できるので、その人自身が消えるということはエネルギーレベルで見ると無いとも言えます。

この意志氣と話をするというのは、人間であれば皆持っている能力で、感覚を掴めば出来るようになります。

また、全ての人は様々な意志氣によって「動かされている」ので、先祖代々の意志氣や集合意志氣、親、友人、飼っていた犬etc…意志氣の総和で今の体験が形作られています。

実際、コンサルティングをしているときに、最近無くなったお母さんであったり、幼い頃に無くなったお姉さんだったり、最近まで飼っていたワンちゃんだったりがやってくることもあり、会話をしているとそういう意志氣エネルギーが働いて、ご縁が出来たんだなという場面が多々あります。

エネルギーとなったらエネルギーとしての役割がまたあって、また肉体をもっている人と共に進んで行くステージがあります。

僕自身の実体験としても、無くなった母の声を聞いて動いたり、祖母が亡くなってすぐから祖母からの声が聞こえるので親戚家族のそれぞれにメッセージを伝えたり、生前好きだった食べ物が急に食べたくなったりするようになりました。(肉体が無いと食べられないので、代わりに食べるみたいな現象は僕以外の人も多々ケースとして聞いています)

僕の周りにも無くなった奥さんと常にエネルギーのやり取りをしながら、日々を過ごしている人もいますし「亡くなってからの方が繋がりが強くなった」と言っています。

意志氣エネルギーで会話をしていると「肉体の無い世界は制限がなく、ただただ喜びだけがある自由な状態」のようです。

本当の意味での死の状態とは

肉体が無くなっても、エネルギーとしてのサポートを行うという役割があり、その方が世界の為によいのであれば、肉体から離れてエネルギーとなる道があります。

道があるというよりは、元が一つのところから生まれた、目に見えない存在側は全てこの状態であるので、神様とか精霊とか宇宙人といわれる存在と同じになるので、元に戻っていくとも言えると思います。

そういう意味では、肉体をもって生まれているのはボーナスステージ状態であるとも言えて「本当に何の不安も無く喜びに溢れて過ごしたい」のであれば、エネルギー体になる方が理にかなっています。
ですが、それでも身体をもって生きているのであれば「何か体験することがある」ということ。

このボーナスステージ状態で「自分が本当にやりたいこと」を体験するのが、人生に課した設定とも言えます。

その設定の体験が出来るように、僕らは日々変化しながら「生まれてきた意味」に進んでいっています。
そういう意味で言えば「死」とは「変化しないこと」とも言えます。

生まれてきた意味そのままの体験をどれだけ出来るかがテーマなので、変化せず体験を望まないのであれば「身体をもっている意味も無い」ので、その際はエネルギーとして動いた方が

世界的な効率がよくなります。

なので、エネルギー体である方が死という概念も無く、伸び伸びと活動できることを考えると、そちらの方が「生きている」といえます。
逆に肉体をもって何も変化しないのであれば、それは「死んでいる」のと同じです。

人は死なない

上記の意味で言うと本当の意味では「人は死なない」です。
なので、思う存分やりたいようにやっても「死ぬこと」はないので、どれだけ思いっきり「やりたいことを無限にやるか」が問われています。

時代の速度が上がっているので、実現できる速度も上がっていっています。
「今、やりたいと思った事が今できる時代」と言えますし、「今、やりたいと思った事を今やらないと時代に取り残される時代」とも言えます。

何をやっても死ぬときは死にます。(そのタイミングもその人が決めています)
自分がやりたいことを体験できる状態が続けば、寿命も伸びるでしょうし、逆にやりたいことをやらないのであれば寿命を短くしてエネルギーとして動いた方が効率がよいと思うかもしれません。

また「いつかやりたいことができたらいい」では、一生できません。
「もう少し後に出来たらいい」と思っていても、一生できません。
「徐々にできるようになったら」も「いつかやりたいことができたらいい」と同じ意味です。

いつやるのか、今決めて動かない限りは何も動かない。
そんな時代になっています。

動こうと思ったときに出てくる「怖さ」その恐怖は何かと突き詰めれば「死」という概念になると思います。

この「死」とは何かを捉えて越えるという視点が今年は必要になってくるかなと思います。

全ての「死」には関わる全ての人にとって「意味」があります。
その意味を通して「自分のあり方と役目」を見つめる大きなタイミングでもあります。

ぜひ一度、自分に問うてみてください。

人生、あと何年生きる予定ですか?
そのうち何年を「自分の生まれてきた意味」に生きて喜びを体験するに充てますか?

すると「自分の生まれてきた意味」に気づいてスタートするまでの準備期間が出てきます。

実際に区切りになるであろうタイミングは今年の夏至になると思います。

人生でも事業でも、夏至までに方向性を決めて進む大事なタイミング。
これからの人生を決めていく半年間でもあるので、有り金を全部はたいてでも投資していく価値があります。

その投資先にはアート(芸術)が必要です。
芸術に何億という値段がつくのは「波動を買う」から。

時代の変わり目にはアートが必要と言われますが、時代の変わり目には自分自身も大きな変化を求められるから。
自分の人生を大きく変えたいとき「変化の先にある波動」を受け続けると自然とそうなるという法則があります。

僕が所属しているPYUASA合同会社の「Cosmic Birth」も人生をアートと捉えて「その人の本当の喜びが体験できる波動」に導く芸術となっています。

自分の人生、自分の才能にいくらの価値を「自分が自分につけるのか」が問われる時代になりました。
「自分の生涯をいくらで世界に売るのか」が「自分の死までの値段」です。

全員、億単位を軽く越えるのは間違いなく、「Cosmic Birth」はその価値を生み出せる人生に生まれ変わるお手伝いをしています。

人生を喜びに溢れるものにしたいのであれば、飛び込んで貰えると僕らも嬉しいです。
全ての存在に青に溢れる世界を生きて欲しいというのが僕の願いです。


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この記事を書いた人

青として、青へ導く仕事をしている「青が仕事の人」

真理を伝える『青言葉』と未来を繋げる『青写真』で人や会社をあるべき姿に調和しています。

生まれたときから青に惹かれ、寄ってくる体質。
青い財布に変えたことがキッカケで英語力ゼロのまま海外移住し、その記事がYahooニュースになりました。
そして「青好き」で検索1位になりANAから仕事を受けてから「青が仕事に」なっています。

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